科学と仏教について
私は元々科学に携わっており、後に宗教に携わるようになった経緯があります。科学と仏教には共通点があるにも関わらず「何故に無理やり科学と仏教が共通するとこじつけるのか?」という質問があります。それについてお答えしたいと思います。
科学とは、「この世の真実を解き明かす」ことです。すなわち、この世の中で起きていること(現象)、存在していることを、客観的に・第三者的に追及し、理解し、真理を追究しているのが科学です。
仏教とは、「お釈迦様の説いた教えで苦悩から解き放たれることを願う修業」です。ところが、悟りのためにはこの世の中を正しく理解することが必要なのです。
「すべてのことは変化しており(諸行無常)変化しない実体的なものはない(諸法無我)」というのは、万有引力の法則と同じように法則ですが、改めて法則として提案されることはなかったようです。
科学と仏教の共通点を要約すると、次のようになります。
(1)ありのままに認識することです
《科学》
客観的に証明でき、繰り返し確認できる物事(現象)。現象を起こす法則は、先入観や思い込みでは発見できないのです。
《仏教》
すべてのことは変化している(諸行無常)この世の中のことはすべて真実である(諸法実相)と捉え、感情的に受け止めない方が心が落ち着いていられます。自然現象だけでなく、社会現象・人間関係や心の認識まで客観的に淡々と捉えると、心が乱されにくいのです。喜怒哀楽も素直に受け入れるのです。ただ、感情に振り回され、欲望に暴走することがないようコントロールするのです。
(2)原因があって結果があるのです(因果)
《科学》
何故物事が生じているのか原因を調べて多くの法則や事実が解明されました。
例として、氷が解けるのは周りから熱が加わるからです。
《仏教》
過去の生き方が現在の状況の原因であり、現在の生き方によって、未来の状態が決まります。過去の生き方の何が悪かったか原因追及し、現在の好ましい生き方を見出すのです。
例として、人にやさしくする、人に迷惑をかけない生き方をするなどです。すると他人からあたたかい目で見られるようになるのです。
仏教の「この世の捉え方」は科学と共通する捉え方がまだまだありますが、省略します。他の法話の中で説明していきたいと思います。「何故に人は生かされているのか」「何故この世に生まれてきたのか」よく考えて発言し、行動すべきでしょう。正常な心の状態・精神活動のために、事実を認め、受け入れ、修業することが有効な方法なのです。
神仏に心を寄せる(礼拝する)ことも穏やかな精神状態になるための有効な方法なのです。
日々の生活が修業であると受けとめ、「今生かさせていただき、修業させていただきありがとうございます。」と感謝するのも心を穏やかにする特効薬です。
科学・技術だけ注目していれば良いというのが近年の風潮ですが、心の問題を考えたとき、宗教や道徳が必要になります。科学と仏教には共通することが多くあります。科学と仏教の共通点を理解することによっても、感情に振り回されにくく物事を理解し、判断することが可能になってくると思います。そのために「科学と仏教は異質で相容れないもの」との誤解を解くのが、「両方を体験し、ある程度理解したものの役目」と思い、努力精進させていただいております。
あとがき
「ストレスなどによって病気になったり、細胞内の遺伝子が変化してがん細胞になってしまう」理由やシステムについてはまだ科学の光が当たっていないので、精神的な力やエネルギーの働き・作用について詳細なことはほとんど解明されていないし、第三者的確認が困難なのが現実です。宗教や祈りには現代科学で解明されてないことが多いです。修業してみると、科学的には明らかにされていない精神的相互作用があると思わざるを得ないことがあります。「先入観なしに真理を追究する思いで仏教を理解しよう」と心掛けてください。きっと人生の役に立つことが理解できてくるでしょう。簡単には言葉や文章で説明しにくいのが残念です。でも、身の回りで起きている人生の浮き沈み・喜怒哀楽などを感情抜きで観察してみてください。何か「腑に落ちること」があると思います。そして、人生の役に立つでしょう。
参考資料
科学は、広辞苑には「観察や実験など経験的手続きによって実証された法則的・体系的知識。物理・科学・生物学などの自然科学が科学の典型であるとされるが、経済学・法学などの社会科学、心理学・言語学などの人間科学もある。」と書かれています。ただし、心理学・医学以外は、心の動きまでは踏み込まず(関わらない・ノータッチ)というのが科学関係者の姿勢でしょう。
仏教は、広辞苑には「仏陀の説いた教えの意。四諦の真理に目覚め八正道の実践を行うことによって、苦悩から解放された涅槃の境地を目指す。」と書かれています。







